校長室の窓から

第77回高等学校卒業式
2025/03/03

3月1日(土)正門の紅白の梅が咲くなか高校の卒業式が挙行されました。コロナ禍とコロナ後という3年間に、本校で鍛えられ立派に卒業していきました。みなさんのこれからの活躍を期待しております。保護者の皆様におかれましても不安のあるスタートだったことと推察いたしますが、ご理解ご協力をいただき本当にありがとうございました。以下に式辞を載せさせていただきます。

 

第77回高等学校卒業式 

式 辞

 正門を彩る紅白の梅。開花を皆さんの旅立ちに合わせるかの様に、そのつぼみを目いっぱい膨らませて満を持してきました。寒波厳しく、吹く風はまだまだ冷たいけれど日向に出れば体ばかりではなく心まで温めてくれるようになりました。もうすぐそこに春が来ているのですね。そしてそれは、今年もまた、出会いと別れの季節を迎えたということです。

3年生のみなさん、卒業おめでとう。この変化著しい3年間を本当によくがんばりました。そしてご家族の皆様、お子様のご卒業を心よりお喜び申し上げますと共に、この3年間の深いご理解とご協力に厚く御礼申し上げます。そして本日は理事長先生を始めとし、ご来賓の皆様にご臨席を賜り、ご一緒に卒業の門出を祝うことができますこと誠にありがとうございます。

 みなさんがまだ中学3年生だった2021年度はまだまだコロナ対応を主としたマスク着用学校生活でしたね。高校受験という面から見てみると、世間では未だ通常通りの説明会とはいかない様子でしたが、だからこそ本校は「いつでもウエルカム」という対応をしました。また、2月の一般入試では昼食をとらなくていいようにと午後の面接試験を中止するということもありました。本校におけるコロナ対応は当時の説明会でもお話してきましが、他校とは一線を画していました。そもそもの根源に迫る対応であり、枝葉の問題ではなかったのです。つまり、人間が持つ自然治癒能力や免疫力の強化を最優先するというものでした。ご入学いただいた皆様にこの考え方がご賛同いただけたのだと、私たちは自信を持つことが出来ました。そうして始まった2022年度からの3年間は、世の中は勿論のこと、東京立正においても様々なことが起きました。そしてコロナは5類になりました。

世界を見渡せば、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、今日も残念ながら現在も進行形のままです。イスラエルとガザの紛争は中東の紛争へとの拡大を危惧しましたが一旦は停戦という状況になりました。アメリカではトランプ新大統領となり、安全保障の問題や関税について等過激な対策が日々報道されています。中国の太平洋への進出行動は目に見えて激しくなっていますし、NATOの対ロシア戦略にも変化が見えてきています。

日本においては、日本原水爆被害者団体協議会、通称被団協がノーベル平和賞を受賞しました。パリオリンピックでの日本選手団の活躍や大谷選手のドジャーズでの活躍は私たちに勇気を与えてくれました。一方能登半島沖地震での被災とその復興の遅さに無力さを感じさせられました。更には円安、豪雨による水害、闇バイトの強盗事件多発、衆議院選挙の結果過半数割れした与党の政権運営、等々が挙げられます。これらの多くは毎週月曜日の全校集会で私からみなさんに投げかけてきた「問」でもあります。この問いは、在学中に選挙権を手にするみなさんが一市民としての責任を果たすことができるようにという願いでもありました。

 では東京立正を振り返ってみましょう。まずはこの講堂です。岡田日帰記念講堂が登録有形文化財に指定されました。歴史・芸術・学術上価値の高い建造物と評価されたことは、全ての学園関係者にとってとても誇らしい出来事となりました。授業においては、みなさんの学年から学習指導要領の改定により、総合的探究の時間が始まりました。これは、教科の枠を超えた横断的な授業で、探究的な見方や考え方を働かせ、課題を解決するための能力を育成することを目的としています。先生方も暗中模索といった状況で、大変ご苦労をおかけしましたが、企業とのコラボレーションで課題を解決するという形式で行い、最終のプレゼン大会では全国大会も経験し、自分たちの未熟さも勉強になりましたね。また、海外研修プログラムとしてターム留学を開始しました。これは希望者全員を連れていくとして始めましたが、事後面談で聞いてみると、実は行きたくなかったという生徒がいました。「おかあさんから絶対に行きなさいと進められました」とのことでしたが「今は、無理やり進めてくれたお母さんに感謝しています」というエピソードも聞かせてもらいました。本校は海外大学への推薦制度・オーストラリア研修・カンボジアSDGs研修・ニュージーランドターム留学を実施し、来年度入学生からは1年間留学も始めますが、その目的は「海外に出て外から日本を見ること」でしたね。

それと連動し「日本のことを自分事に」として始めたのが、北海道根室高校・沖縄県の興南中学高校・能登の輪島高校との交流、および現役政治家との公開ディスカッションでした。北方領土問題・沖縄の歴史・震災からの復興についてダイレクトに知ることができましたし、政治家とのディスカッションでは「少子化対策」「憲法第九条」「税金」などの問題に対して、どう質問していくのかという質問力を高めることができました。さらに福島県との協働でクラウドファンディングを導入した「甘酒プロジェクト」は授業であり事業という画期的なカリキュラムとなりました。地域活動への参画では、高円寺阿波踊りのボランティアが60名を超えるようになり、そのリーダーにも選出されるようになりました。高円寺祭りや子ども食堂の運営、寺子屋といった活動にもみなさんは活躍の場を広げました。

コロナで中止していた、合唱コンクール・スキー教室・オーストラリア研修・カンボジアSDGs研修。これですべての活動をもとに戻すことができました。特に、放課後の教室から歌声が響いてくる学び舎がもどったときの感激は忘れられません。また中止しないで開催し続けてきた体育祭と紫苑祭があります。体育祭は本校らしい激しめ。男子生徒が顔をグシャグシャにして雄叫びを上げるエッサッサと、女子生徒が浴衣姿で華麗に舞う花笠音頭という「動と静の対比」は印象的であり、ずっと記憶に残っています。紫苑祭は映像中心から食品を扱うところまで復活しましたし、ジェットコースターやお化け屋敷・ゲーム等その発想力を堪能させてもらいました。また、全校芸術鑑賞も3年間実施することができ、アラジン・白鳥の湖・ハリーポッターと、名作をスタンディングオベーションも含めて楽しむことができたと思います。

このように、みなさんの3年間はずい分とアクティブでした。100年を振り返った時にも、このコロナ禍とコロナ後の教育活動は本校にとって重要な時代だったと言えるでしょう。

みなさんが在学中のこれら数々の物事は意思をもって進めてきましたが、絵にかいた計画ではなくそこには必ず人がいるのです。やろうと思ったときに一緒に行動してくれる人がいたから実現できたのです。これはご縁といっていいでしょう。生徒たちのためにと思いを共有してきた先生方は勿論のこと、そこにいたのが皆さんであったことがたまたまだとは思えません。私たちには分かりえない「必然」だったと思っています。今や全校集会で問いを投げた際には、きっと反応してくれるであろうみなさんの顔が浮かんでくるようになりました。そして、皆さんの入学以降、生徒数は増え続け、ついには教室数が足りなくなって増設するまでになりましたね。これはみなさんと取り組んできた学びが、外からも評価を受けているという証なのです。

 さてここで質問です。

安全保障・経済・生成AIの進化など激動が予測される未来において、みなさんはどうやって生きていけばよいのでしょうか?

残念ながら明確な答えを示すことはできません。しかしながら、このように、問い続けることが必要なんだということは分かります。常識だからとか、友だちがそう言っているからとか、メディアがそう言っているから、といって「思考停止」してはいけません。答えを求めるのではなく、「問」こそ求めていくことだと私は確信しています。

詩人の長田弘さんは自身の作品「あのときかもしれない」の中でこう言っています。

その時だったんだ。その時、君はもう一人の子どもじゃなくて、一人の大人になってたんだ。「なぜ」と元気に考えるかわりに、「そうなってるんだ」という退屈な答えで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになった時。と。

どうかお願いです、私はみなさんがその様な大人になる日を見たくありません。

 皆さんの母校は2026年に創立100周年を迎えます。

日蓮聖人第650遠忌の記念事業として五重塔を建てるという事ではなく「人の心に塔を建てる」として設立され、教育理念は「生命の尊重、慈悲・平和」です。創立者岡田日帰上人の遺志を継ぎ今日に至るまで数多くの教職員が教育の可能性に情熱を注ぎ、数多くの卒業生がこれらの志を身にまとって巣立っていきました。

みなさんも本日よりその一員だということを忘れないでほいしい。

 結びになりますが、私自身をも支えてくれている、私の好きな言葉を卒業生のみなさんへの「はなむけの言葉」として贈ります。

 たとえ空に限りがあるとしても 自己に限りを設けるな

かくなりたいと願え さらば成就せん。

 2025年3月1日

東京立正高等学校 

校長 梅沢 辰也

 

 

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