あゆみ・校歌

堀之内学園・立正高等女学校は、堀之内妙法寺30世・岡田日帰上人により昭和2(1927)年4月に創設され、1回生と2回生が同時入学となった。

同窓会の設立と活動

昭和6(1931)年3月 立正高等女学校の第1回卒業生は49名。
名称を「立正蓮(はちす)会」とし会長は母校の校長に、理事は4名の先生にお願いすることとした。
昭和6年4月18日 馬田即貞校長が住職を務める、東京芝三田の蓮乗寺に於いて第1回総会が行われた。
この時、立正第一女学校(旧立正技芸専修女学校)の同窓会名称を「小百合会」として独自に設立。
昭和10(1935)年12月 母校の援助をはかるため、校舎建築資金の一部を寄付。
昭和11(1936)年5月16日 「立正蓮会」と「小百合会」を合併、「立正同窓会」と改称。この後毎年4月29日に総会を開催して会員の親睦をはかり、年一回の「会報」発行を決めた
昭和26(1951)年 同窓会設立20周年を迎えて会員規約改正案が出され、規約改正委員会を発足。
昭和27(1952)年4月 総会で改正案可決される。これにより、同窓会は会員により運営されることとなった。
当座は校長を会長とし副会長に女学校1回生の中根喜(き)の江(え)姉に依頼。
この年購買部運営権利取得。
昭和28(1953)年 講堂南側の一教室が同窓会室となる。
昭和56(1981)年 同窓生名簿が完成し、会計の簡素化と購買部運営の合理化を行う。
会報を「むらさき」と改名し、復刊。
以降、毎年8月に会員に呼びかけて日蓮上人ゆかりの地を旅する「聖跡を訪れる会」(*)を企画、10年間続けて実施(参加人数延421名)。
昭和57(1982)年11月 「東京立正同窓会関西支部」準備会発足。
昭和58(1983)年5月 岡山県岡山市妙広寺において発会する。
平成7(1995)年5月 第13回関西支部総会が、初代校長高島平三郎先生の故郷・福山で開催された。
平成12 (2000)年11月 同窓会室を講堂南側の教室より、校舎の西に隣接する通称ホワイトハウスへ移す。
平成13(2001)年6月 関西支部最後の総会を岡山市のホテルで開催。
平成24(2012)年7月 学校のホームページに同窓会のコーナーを設けてもらいサイトアップ総会の様子や問い合わせ欄等載せる。

令和2年度 組織・仕事内容

年度 歴代会長(略敬称) 副会長(略敬称)
初代(昭和25〜26) 馬場即貞校長 馬場即貞校長
2代(昭和27〜28) 中根喜の江(高女1回生) 辻町子(高女1回生)
3代(昭和29〜30) 浜田キヨ子(高女3回生) 武神辰子(高女4回生)
4代(昭和31〜32) 佐藤靄子(技芸2回生) 古谷喜美子(高女3回生)
5代(昭和33〜34) 神田満江(高女2回生) 新井香津(高女4回生)
6代(昭和35〜36) 中根喜の江(高女1回生) 新井香津(高女4回生)
7代(昭和37〜45) 山田操(高女2回生) 大類安(高女2回生)
難波静子(高女7回生)
8代(昭和46〜47) 渡辺常子(高女5回生) 難波静子(高女7回生)
9代(昭和48〜55) 小泉静子(高女7回生) 中西末子(高女7回生)
荻原悦子(高女7回生)
10代(昭和56〜58)
(昭和59〜平成9)
(平成10〜11)
藤森嘉子(高女7回生) 中西末子(高女7回生)
村山英子(高校3回生)
中西末子(高女7回生)
荻原悦子(高女7回生)
大村百合子(高女14回生)
野村満里子(高女15(4)回生)
11代(平成11〜15)
(平成16〜17)
(平成18)
野村満里子(高女15(4)回生) 大村百合子(高女14回生)
久保明子(高校3回生)
杉山錦子(高校7回生)
田辺久美子(高校7回生)
杉山錦子(高校7回生)
小畑敏(高校11回生)
12代(平成19〜22) 杉山錦子(高校7回生) 小畑敏(高校11回生)
芦沢千紗子(高校9回)
13代(平成23〜27) 芦沢千紗子(高校9回) 小畑敏(高校11回生)
三浦喜美代(高校12回生)
14代(平成28~令和元年) 小畑敏(高校11回生) 三浦喜美代(高校12回生)
三宅多美子(高校12回生)
15代(令和2~) 三浦喜美代(高校12回生) 相模澄江(高校16回生)
白神基子(高校16回生)

同窓会が現在のように組織だって活動されるようになったのは、第10代の藤森嘉子会長によって名簿の整理がなされてからです。さらに歴代の会長・副会長はじめ理事各位の協力により、年代を越えた同窓の輪が広がり会員の親睦を深めることができるようになりました。

聖跡を訪れる会

第1回 昭和58(1983)年8月24〜25日 千葉県安房・小湊方面(清澄寺・誕生寺参拝) 参加人数13名
第2回 昭和59(1984)年8月27〜28日 山梨県甲府方面(身延山久遠寺参拝)
この時、同窓会にご尽力下さった故大坂令子先生のご回向をする 参加人数26名
第3回 昭和60(1985)年8月26〜27日 静岡県伊豆方面(伊豆半島における日蓮聖人の聖跡参拝)
参加人数50名
第4回 昭和61(1986)年8月25〜26日 静岡県三保松原方面(妙純寺・北山本門寺などを参拝)
参加人数41名
第5回 昭和62(1987)年8月21〜22日 栃木県佐野塩原方面(佐野妙顕寺など参拝) 参加人数43名
第6回 昭和63(1988)年8月23〜24日 茨城県北茨城方面(久昌寺・笠間稲荷・鹿島神宮など参拝
参加人数39名。
第7回 平成元(1989)年8月28〜29日 福島県会津若松方面(妙国寺参拝・飯森山の白虎隊史跡)
参加人数53人
第8回 平成2(1990)年8月22〜23日 山梨・長野県諏訪方面 (遠妙寺・諏訪大社参拝ほか)
参加人数56名
第9回 平成3(1991)年8月21〜22日 山梨県身延方面(身延山久遠寺・立正寺参拝) 参加人数53名
第10回 平成4(1992)年8月25〜26日 新潟県佐渡方面(日蓮聖人ゆかりの寺参拝) 参加人数47名

※第10回の佐渡旅行をもって「聖跡を訪れる会」は終了した。この会を企画担当した藤森会長(当時)は「この会を通じ、同じ学園を卒業したご縁によ り年齢の差もクラスの別を感じないで楽しく知己になれました。ただ有り難いと思うばかりでございます」と振り返っている。

令和2年度 組織・仕事内容

発行年 内容 場所
平成14年(第21号) 妙法寺で発見! 
―絵馬に新たな北斎像―
杉並区堀ノ内
平成15年(第22号) 緑あふれる大宮八幡宮 
―子育・厄除の八幡様―
杉並区大宮町
平成16年(第23号) 杉並区立郷土博物館
―流転の王妃門出の地―
杉並区大宮町
平成17年(第24号) 妙法寺 回廊めぐり
―仁王門・祖師堂―
杉並区堀ノ内
平成18年(第25号) 高円寺(宿鳳山高円寺)
―界隈今むかし―
杉並区高円寺南
平成19年(第26号) 日蓮宗大本山 池上本門寺
―仁王門・五重の塔・宝塔―
大田区池上
平成20年(第27号) 江戸東京たてもの園
―武蔵野の木立ち―
小金井公園内
平成21年(第28号) 鐘楼の美しい中道寺
―杉並区立大田黒公園へ―
杉並区南荻窪
平成22年(第29号) 妙福寺がある洗足池畔―日蓮聖人の晩年を想う― 池上線北千束駅
平成23年(第30号) 西麻布・長幸寺
―長亮明先生を偲んで―
港区西麻布
平成25年(第32号) 龍口寺
―日蓮聖人法難の霊場―
神奈川県 江ノ島
平成26年(第33号) 日蓮宗総本山
―身延山久遠寺を訪ねて―
山梨県 身延町
平成27年(第34号) 正中山法華経寺
―若き日蓮聖人に会える寺―
千葉県市川市中山
平成28年(第35号) 千光山清澄寺・小湊山誕生寺
―日蓮聖人御降誕の地―
千葉県鴨川市小湊
平成29年(第36号) 鎌倉 松葉谷妙法寺
―苔の美しいお寺―
神奈川県鎌倉市
平成30年(第37号) 本山妙純寺
―星下りの梅―
神奈川県厚木市
平成31年(第38号) 経栄山題経寺
―柴又帝釈天―
葛飾区 柴又

※会報誌「むらさき」に平成14年から平成31年に掲載された場所をまとめました。

学校の宗教行事

〜ゆたかな心 感謝の心〜

瞑想

「姿勢を正し目を閉じて深く己の心をみよ」をテーマに、自己の発見と確立、心の安定を目指すのが瞑想の目的である。
昭和22(1947)年4月8日釈尊降誕の日を期とし、馬田校長(当時)の念願であった宗教情操の一環として、毎日20分間実施されるようになった。現在では、毎週月曜日の1時間目に行っている。

降誕会

2月16日、日蓮聖人の誕生を祝う法要。
日蓮聖人は、貞応元(1222)年安房国小湊に誕生された。言い伝えによると、午の刻、海には一面に蓮華が咲き、庭の一角からは清水が湧き出したという。毎年「降誕歌」を斉唱し聖人の誕生を祝っている。

花まつり

4月8日、釈尊の誕生を祝う行事。
ルンビニー園で摩耶(まや)夫人が無憂樹(むゆうじゅ)の枝を手折ろうと右手を上に伸ばしたところ、右わきより一人の男子が生まれた。仏教の開祖釈尊の誕生である。釈尊は直ちに7歩あゆみ、天地を指して「天上天下唯我独尊」と宣言したという。ルンビニー園を象った花御堂の中に、天上天下を指さした釈迦誕生像を安置し、甘茶を濯ぎ釈尊の誕生を祝う。
本校では、毎年生徒たちが持ち寄った花で花御堂を作り祝っている。

お会式

10月13日、日蓮聖人の忌日に行われる行事。
弘安5(1282)年来の病を治すために身延を離れることを決意した聖人は、身延の領主波木井氏一族の所領があった常陸国へ行くことにした。
また、この機会に故郷安房国に父母の墓を訪ねようとされたと言われる。しかし、途中、池上(大田区)にある聖人檀越池上宗仲の館で静養中、急に病が重くなり、ここで入滅され61歳の生涯を閉じられた。毎年、聖人の威徳に感謝し法要が行われている。

慰霊祭

昭和7(1932)年11月15日、創立者岡田日帰上人の一周忌にあたり慰霊祭を営み、重ねて本校創立以来物故された教職員、卒業生、在校生など学園関係者の慰霊を行った。これは上人本葬に臨み生徒代表によって誓願された、上人の命日を記念日とする誓いによるものである。以来、毎年命日に上人の回忌法要と1年間に物故された方々の慰霊祭を挙行している。

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